〓 〓O 子供の『教養』と云ふ仕事はこの世の中で最も大き な事業であると言つても過言ではございますまい 又子供を愛するといふ事は同時に人類の成長と未 来を期待する事であるとさへ言はれています、臨 つて新しい世紀を創造する源泉となる事も疑ふ7 との出来ない真理だと思ひます。 『子供の力社』は少さいながらも斯うした使命を 持つて万分の一の力ともなりたい念願から産声を あげて来たのでございました。 微力ながらも『子供の力』は責任ある皆さん方の 味方となり又父兄方の親しい御相談相手になつて 行くことでございませう。 最後に我が社の『子供の力』は理解ある母親が導 愛にみちた言葉で我が子に話しかけるやうな麗は しい情けを持つお友達でありたいと願つているこ とをお知り下さい。 子供の力社 花巻小学校作品 花城小学校作品 目次 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 宮沢善治氏夫人 兄弟の仲の善さ 発刋の御挨拶 金沢秀次 二人の孤児 高涯幻二 体育デーを迎へて 上中小学校晴山吉郎 見よ、この栄光 「子供の力社」に寄せられた祝辞 越兼峠 小田島相竜 童謡について 玩具の船 土沢小学校高橋芳夫 児童文苑 本社賛助員芳名 話童 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 とは、どうも何だかお腹 が一ぱいのやうな気がす るのです。そこで嘉十も 〓…おしまひに…〓 (上) その時西のぎら〳〵のち ぎれた雲のあひだから、 夕陽は赤くなゝめに、苔 の野原に注ぎ、すゝきは みんな白い火のやうにゆ れて光りました。 私は疲れてそこに眠りま すと、ざあ〳〵吹いてい た風が、だん〳〵人のこ とばに聞え、やがてそれ は、今北上の山の方や、 野原に行はれいた鹿踊り の、ほんたうの精神を語 りました。 そこらがまだまるつさり 丈高き草や黒い林のまゝ だつたとき、嘉十はおぢ いさんだちと北上川の東 から移つて来て、 〓…小さな畑を…〓 開いて粟や稗をつくつて いました。 あるとき嘉十は、栗の木 から落ちて、少し左のひ ざを悪くしました。そん なときみんなはいつでも 西の山の中の湯の湧くと ころへ行つて、小屋をか けて泊つて療すのでした 天気のよい日に、嘉十も 出かけて行きました。 糧と味噌と鍋とをしよつ て、もう銀色の穂を出し たすゝきの野原をすこー ひつこを引きながら、ゆ つくり〳〵歩いて行つた のです。 いつもの小流れや、石原 をこえて、山脈のかたち も大きくはつきりなり、 山の木も一本〳〵、すぎ こけのやうに見わけらス ゝところまで 〓…来たときは…〓 太陽はもうよほど西に外 れて、十本ばかりの青い はんの木の木立の上に、 少し青ざめてぎら〳〵光 つてかゝりました。 嘉十は芝草の上に、せな かの荷物をどつかりおろ して栃と粟とのだんごを 出して食ひはじめまー た。すゝきは幾むらも幾 むらも、はては野原一ぱ いのやうに、まつ白に光 つて波を立てました。嘉 丁はだんごを食へながら すゝきの中から黒くまつ すぐに立つている、はん の木の幹をじつにりつぱ だと思ひました。 ところがあんまりいつし やうけんめいあるいたあ 栃のだんごを栃の実のく らい残しました。 「こいづば鹿さ呉れべが それ、鹿、来て喰」と嘉 十はひとりごとのやうに いつて、それをうめばち さうの白い花の下におき ました。それから荷物を またしよつて、ゆつくり 〳〵歩き出しました。 ところが少し行つたとき 嘉十はさつきのやすんだ ところに、手拭を忘れて 来たのに気がつきました ので、急いでまたひつか へしました。あのはんの 木の黒い木立がぢき近く 見えていて、そこまで〓 るくらい、なんのことで ないやうでした。けれど も嘉十はぴたりと立ちど まつてしまひました。そ れはたしかに 〓…鹿のけはひ…〓 がしたのです。鹿は少く とも五六疋、すめつぽい はなづらを、ずうつとの ばして、しづかに歩いて いるらしいのでした。 嘉十はすゝきにふれない やうに気を付けながら、 爪立てをして、そつと苔 をふんでそつちの方へい きました。 たしかに鹿はさつきの栃 の団子にやつてきたので した。「はあ鹿等あ、す くに来たもな。」と嘉十は 咽喉の中で、笑ひながら つぶやきました。そして からだをかゞめて、そろ り〳〵と、そつちに近よ つて行きました。 一むらのすゝきの陰から 嘉十はちよつと びつくりしてまたひつ7 めました。六疋ばかりの 鹿が、さつきの芝原を、ぐ るぐるぐるぐる環になつ て廻つているのでした。 嘉十はすゝきの〓間から 息をこらしてのぞきまし た。太陽が、ちようど一 本のはんの木の頂にかゝ つていましたので、その 〓かあやしく青く光り、 まるで鹿の群を見下して ちつと立つている青いい きものゝさうに思はれま した。すゝきの穂も、 本づゝ銀色にかゞやき、 鹿の毛並がことにその日 はりつぱでした。 嘉十は喜んで、そつと片 膝をついてそれに見とれ ました。 鹿は大きな環をつくつて ぐるぐるぐるぐる廻つて いましたが、よく見ると、 どの鹿も 〓…環のまん中…〓 の方に気がとられている やうでした。その証拠に は、頭も耳も眼も、みん なそつちにむいて、おま けにたび〳〵いかにも 引つぱられるやうに、よ ろ〳〵と二足三足、環か らはなれて、そつちに寄 つていきさうにするので した。 もちろんその環のまんな かには、さつきの嘉十の 栃の団子がひとかけおい てあつたのでしたが、鹿 どものしきりに気にかけ てあつたのは决して団子 ではなくて、そのとなり の草の上にくの字になつ て落ちている、嘉十の白 い手拭らしいのでした。 嘉十はいたい足をそつと 手でまげて、苔の上にき ちんと座りました、鹿の めぐりはだん〳〵ゆるや かになり、みんなは交る 〴〵、前肢を一本環の中 の方へ出して、今にも 〓…かけ出して…〓 いきさうにしては、びつ くりしたやうに、また引 つこめて、とつとつとつ とつしづかに走るのでし た。其の足音は気もちよ く野原の黒土の底の方ま でひゞきました。 それから鹿どもは廻るの をやめてみんな手拭のこ ちらの方に来て立ちまし 嘉十はにはかに耳がきい んと鳴りました。そして がた〳〵ふるへました。 鹿どもの風にゆれる草種 のやうな気持が、波にな つて伝はつて来たのでし た。嘉十はほんたうにじ ぶんの耳を疑ひました。 それは鹿のことばがき7 えてきたからです。 「じや、おれ行つて見て 来べが。」 「うんにや、危ないじや も少し見でべ。」 こんなことばも 何時だか狐みたいに口発 破などさかゝてあ、つま らないもな、高で栃の団 子などでよ。」 そだそだ全くだ。」 こんなことばもきゝまし 「生きものだがも知れな いじやい。」 「うん、生きものらしい どこもあるな。」 こんなことばも聞えまし た。(つゞく 子供の 御相談 どなたでも、自分の子供 については、かうしたな らよからうか、あうした なら悪いか、又かうして もらひたいとか、あうし てもらひたいとか、又自 分の子供はかういふ癖か あるから、どうしたなら よからうとかと色々学校 に対して御相談をしたり 御願をしたいことが、か くさんあることと思ひま す。それを一々学校に行 つて相談をしたり、御願 をすることが、何となく おつくがる方もあれば、 又急がはしいとか何とか て学校に行きかねるので 思ひながら大事な〳〵御 子様の教育を粗末にして 取返しのつかぬことゝな ることが往々あるので す。 本紙は是等の御方々の為 めに、学校の方に御意見 を取次いで上げ、唯に其 の学校ばかりでなく、広 く他の学校の先生にまで 御ききする様にして出来 るだけ皆様の御子様の務 育のため御力添へを致し ますから、どんな小さな 問題でもどん〳〵本社宛 御通信なさつて下さい、 勿論無名でもなんでもか まひません。 〓考参育教〓 問訪庭家 宮沢善治氏夫人 兄弟の仲の善さ 自分ながらうれしい- 化巻川口町の宮善といへば堅実な実業家として知られてをるが、現主宮沢 善治翁は唯単に理財にかけての卓見手腕があるばかりでなく子弟の教養い 就ても非常に注意され令息、令嬢、令孫がみな何れも秀才々媛揃であると いふことは定評通りで勿論之れはその生れつきが立派であることは争はれ ぬ事実でありませうが其の教養宜しきを得たことも又与つて力があること ゝ思ひます。 今回本紙の発行を機としかゝる名流家庭の教育方針の一端を窺ひ之れを 般に紹介することが出来るなれば、その裨盆する所多大なるものがあらう と思ひ、一日記者は同家庭を訪づれたのでありました。定めし御当家では かゝることを社会に公表されることは御迷惑至極と思はれるにちがひあb ませんが一般家庭の参考にと狂げて御許しを御願ひしたのでした。(一記者 記者は、日頃業務に御精 勲中の宮沢翁其の人を訪 ねるのは頓な迷惑を御か けするといふ懸念と、も 一つには裏面からおばあ さん(翁の令夫人)の経験 談を伺ふのは或は却つて 一般主婦の参考になるだ らうと思ひ、特に御ばあ さんを御訪ねしたのであ 記者は御ばあさんとは初 めて御目にかゝつたので あるが如何にも無雑作に 表裏のなささうな明い態 度で快活に御話下され るので丸で旧知の人に接 した様な親しい気分にな つてしまつたのである 記者は御子さんや御孫さ ん達の小学校時代の成結 を世評通りに御話して其 の家庭の教育方針といつ た様なことをそれとなく 御尋ねすると御ばあさん 別にこれぞといつた若 をもつて育てた訳でも なく、そんなに誉めら れては御笑止くつて御 話が出来ません。たゞ 子供等は小さい時分か ら兄弟仲がよかつたと いふことだけは自分と しては何にもかへられ ない面白いことで又仕 合せなことゝ思つてい ました。今でも兄弟仲 がよく何をするつても 兄弟達は相談の上です る様な工合であります 然しかうなつたのも何 も自分の育て方がよか つたの何のといふわけ ではなくみんなおぢい さん(善治翁の厳父)の 御かげであります。 或る時かうしたことが ありました。直治が小 学校時代に八重畑の大 竹さんと一二を争ふ位 成績がよかつたさうで そして大竹さんとは大 の仲よしでありまし た。二人は小学校在学 中から卒業したならば 中等学校に一しよに行 かうと堅く約束をして をつたさうです。 愈々卒業となると大竹 さんは中等学校に入学 されたが、直治はおぢ いさんに訳を話して入 学を願つたら、御ぢい さんは立所に「なに自 分等が大した学問もし ないけれども兎に角一 通りの読み書き勘定も 出来、人様と同等な 用も足せる。家に居る 者はお前位の学問すれ ば十分である。决して 入学させぬ。」ときつぱ り断られてしまひまし た直治が非常に悲しみ 且つくやしがつてそれ をお父さん(善治翁)に 頼んだり大津屋の伯父 さんに頼んだりして、 おぢいさんに御願した が矢張り聴かれない。 直治は愈々悶え悲んだ ので、自分も本当にか あいさうでならなかつ たが如何ともすること が出来ず、「何学校に入 らなくとも学問が出来 るんだ。な須川様に御 願して勉強したなら立 派に学問が出来るんだ から。」などゝ唯直治を 慰めたり力づけたりし て、とう〳〵一年といふ もの泣き暮させました 一年後には直治もやう 〳〵入学のことは断念 めまして家業に手伝し ながら家で学問するこ とになりました。さあ 次には恒治が小学校を 卒業しました。矢張中 学校に入りたいといひ だしたので直治は「自 分はおぢいさんのおつ しやる通り中等学校に は入りませんが恒治に ばかりはどうぞ入学さ して下さい」と折角お ちいさんに御願したら おぢいさんは「お前の ことだけはをれがきめ たが後の子供等のこと は御父さんと相談して お前達できめろ。」と 仰つしやつたので今度 は直治が私共に相談を かけたので、其の結果 恒治は入学させること にしました。それから その後の兄弟も本人の 望みにまかせて学校に 入れることにしたので した。(つゞく) 発刋の御挨拶 『子供の力社』金沢秀次 「力」のないところには勿論「ハタラキ」即ち 活動なるものは生じて来ないが、縦令「力 があつても、其の「力」が〓るとか、なくな れば従つて其の活動が〓滅するのであるか ら、つまり「力」は活動の根源であります。 子供には始めから「伸びる力」が自然に備つ てをります。然し其の力を自然にまかせて はふつておくと、他から之れを培つて伸ば してゆくとは、その結果に至つて大したち がひになります。恰度彼の草木が春に見舞 はれて、あの暖い日光を浴び、あの乳のや うな春雨を吸ふて芽生え、そして日一日と 伸びていくやうに、子供も其の小さいから だ、幼い心が絶えず伸びんとしてをり、そ してそれを手伝つてくれる他の何物かを要 求して止みません。そこで此の伸びんとす る「子供の力」を、どうすれば強く、大きく、 立派に伸していくことが出来るかゞ、随公 大きな問題であります。なぜなれば、子供 の力がうまく伸びて行けば、そこに立派な 人物が出来上り、そしてその多数の集りは 健全な社会と、健全な国家を築き上ぐる7 とになるからであります。 この大きな問題を解决するには私共の考へ としては、此のひとりでに伸びんとする子 供の力に、適当な資料と手入れをすること が最も必要なことゝ思ひます。如何に優良 な草や木が芽え出ても、若し之れに肥料を やらなかつたら、到底その伸び行く力を充 分に伸ばすことが出来ず、あたら名木名草 もつまらぬ草木となり、果ては早く枯死す るやうになります。又たとへ適当なこやし をやつても、手入れを怠つて、其周囲の雄 木雑草を取払はなかつたら、亦同様な運命 になるのであります。之れと同様に子供の 力も生れたまゝ、自然のまゝにしてほふつ ておいたなら、到底うまく伸びて行くもの ではありません。たとへ十の力をもつて生 れた子供でも、五の力をも出し得ないとい ふことになるのであります。例へば、大臣 とか大将とか、立派な学者とか芸術家とか に、なり得る心の力を持つて生れた者でも 之れに教養といふ肥料若くは手入れをやら なかつたならば、結局普通、甚だしきはコ ンマ以下の下積みになつて終らなければな らぬことになります。又からだの力でいふ ならば、横綱といふ立派な角力になる体質 をもつて生れても、之れが修練を積まなけ れば、亦なみ人で終らなければならぬこと になります。反之、生れつき心の力に於て も、体の力に於ても弱くつとも、教養若く は修練を積めば、相当な人物、相当な角力 にもなり得るのであります。要するに強い 力をもつて生れた者を盆々強く、弱い力を もつて生れた者でもだん〳〵強くさせて行 くには、教養或は修練が第一であります。 世の中には教育不能論などゝ、大裂裟な反 旗をひるがへす者もあるが、私共はさうし た人達の意中を了解するに苦しむ者であり ます。その人方は、強いて教育の可能なる 事実を否定して人間の動物と異なる特長を 呪ひ、そして教育的に之れまで進んで来か 人類生活を、低級な動物的生活に逆転せし め、人間をして飽迄動物生活の悲哀を反覆 せしめんとするものであると思ひます。故 に私共はかゝる論者には一顧の必要も見ま せん。さりとて私共は决して教育万能を高 唱する者でもありません。唯教育は事実上 或る程度迄は可能であるといふのでありま す。 そこで教育可能として其の教育の主体即ち 教育する者は何であらう。私共は人間とし て地上の光を認めた者についてのみいふ、 現在の教育学の原則による自然、社会家庭 学校を以て之れにあてたいと思ひますが、 目然及社会の教育に及ほす影響は、今俄〓 如何とも打ち直すわけにはいきませんが、 家庭及学校は現に直接に教育の主体として 可能なるものと信ずる者であります。 かやうな意味に於て、学校と家庭とが教育 の協調を図ることが最も必要で、之れにト り教育の効果は相俟つて顕著なるに至るべ く、若し不幸にして両者の協調を欠くとき は、相互に教育を破壊することになるので あります。 本紙の目的は学校と家庭の一致を図り進ノ では或る程度まで自然及社会等の環境を整 理調成し、以て伸びんとする子供の力を出 来得る丈伸ばさうとするところにあるので あります。 子供」の力なる本紙の名称は此の目的此の 内容を括り上げて付けたもので、どこまで も子供を本位に、子供は自分自身で内の方 から其の力を伸ばしてをるがそれと同時に 外の方からもその発達を助け、相俟つて子 供の力を出来るだけ強く大きくせんとする を意味したことを、巻頭に明かにしておき ます。 伺本紙はかやうな目的と名前を以て、教師 と家庭(保護者)と子供のために造られた世 界でありますから、相共に自由に遺憾なく 利用せられんことを切にお願しておきま す。 童話二人の孤児 〓 高涯幻二 …△第一回▽… 十一月もなかば過ぎて 冷たい風が吹きはじめま した。 ずつと昔、お城下だつ た一本径の街は、九時を うつと、もうどこの家で も戸を閉めて、眠につく のでした。 「寒むな、まるで冬だぢ や、」 と晃はひとり言のやう に呟やいて、空を見上げ ました。空には月が名〓 のやうに冷たく、さわつ たらどんなものでも、真 二ツに切れさうに、青くの上をお話しいたしま〓 二ツに切れさうに、青く 澄んでおります。 かわいさうに、晃はみ なし児でした。広い世の 中に親もない、兄弟もな い、たつた一人の少早だ つたのです。 ここで可哀想な晃の身 の上をお話しいたしませ 晃のお父さんは旅から 旅を続けて行く手品師だ つたのです。晃も又お父 さんと一緒に知らない町 から知らない町へと渡ら なければなりませんでし た。どこへ行つても、晃 にはお友達がありません でした。三日でも四日で もお友達をつくらうと力 めたのでしたが、方々の 国を廻つて歩くために、 どこの子供のお父さんも お母さんも、いろいろの 考へから、晃と遊ばさせ なかつたのです。 晃は、安宿のむさ苦し い部屋に、お父さんと一 緒に寝ながら夜中にシク シク泣いてばかりいたの です。 一晃、晃や、どうして泣 くんだ。」 そう云つてお父さんは やさしく頭をなでて、い たはりました。 「源ちやや、勘ちやのお 母ちやんは、晃と遊ぶな つて、言ふんだよ……」 やさしいお父さんの胸 に、ポトポト〓を落して うらめしそうに訴へるの でした。 お父さんは、その言葉 をきくたびに、知らず 〴〵に落ちて来る〓をそ つと拭きながら云ふので した。 「がまんするんだよ、友 達がないたつてかまふも んか、お父さんが晃の友 達になるからなあ…」 その土地、その町で、 近所の子供達に乞食乞食 と笑はれたりして、五年 といふ長い間、晃はお父 さんと一緒に旅から旅を 続けて去年北の国のこの 町に着いたのです。 丁度冬でした。毎日の やうに雪降りで、街には 人通りもすくなく、吹雪 の時などは、昼でさへも どこの家でも戸を閉めて おりました。ですから街 で手品をやつていても、 一人も見に集つてきては 呉れませんでした。晃は お父さんと一緒に雪に打 たれ、寒さにふるへなが らぼんやりと町角に立つ ている日が、幾日となく 続いたのです。 そのやうな日が続いた のですから、お金の貰ひ もすくなく、働いて少し ばかり溜めたお金も、も うほとんど使つてしまつ たのでした。それにお父 さんはたいへん躰が弱つ ておりました。何にかに つけて無理ばかりして来 たのですから、弱い躰を 雪の中に立つていたり、 生活のことで始終心をい ためたりしたために、十 日目には、もう働けなく なつて、床についてしま ひました。熱も四十度以 上にあがつて、三日苦し み通し、泣き叫ぶ晃のか らだをしつかり抱いて、 哀い旅の安宿の人達に看 取れながら、はかなく息 を引取つたのです。 その時、晃の十二の齢 は暮れかかつていました 力と頼むお父さんに死に 別れた晃は、これからど うして広い世の中を生き ていつたらいいでせう。 外の家のお葬式ならば 奇麗な花を持つたり、か くさんの御見送の人達に 守られるのですが、晃の お父さんは、宿のお神さ んと、泊つていた血色の 悪い労働者二三人に送ら れて、みんなのお墓とは すつと離れた隅に埋めら れたのでした。 あれ程ひどい苦しみを お医者さんにもかけら〓 なかつたり、そのやうな お葬式だつたりした事を 晃は大きくなつても忘れ てはならないと思ひまし た。三年前のことを思出 しては、晃は一人納屋の 隅で、口惜しくて泣いて ばかりいました。そして 大きくなつたら、キツト 偉い人間になつて立派に お父さんの魂を祭らうと 死んだお父さんに、泣き 泣き誓つたのです。 晃は、父の死んだ後近 所の鍛冶屋に働いていた 晃は初めのうちは、そこ の主人やお神さんからも 可哀想だといつて、親切 に世話をされていたので すか、日は経つにしたが つて、何にかにつけて晃 に辛く当りました。 「まぬけ!しつかりし このやうな荒々しい言 葉が、毎日のやうに、ま だ幼ない晃に鎚のやうに ガンガン響くのでした。 鉱の上げやうが悪い、下 げやうが悪い遅い、早い といつては、そのたびに 鬼のやうな大きな真黒な 手が、青白い晃の〓に飛 んだのです。晃の躰には 文字通り傷の絶え間がな い程でした。晃は自分の 寝床である納屋に寝なが ら悲しい涙に濡れたこと が幾度あつたか知れませ んでした。然し死んだお 父さんの事を考へては、 我慢をして、いやなその 日その日を過して行つた のでした。 お話は、ずつと前にも どります。 晃は夜更けた町を、家 へ急いでいました。 「寒む。」 さあつと冷たい風が、 強く吹いて来ましたので かういつて肩をすほめま した。その時着ている着 物をみました。真白な単 衣でした。ひといを着て いたら、ほんとうに冬の やうに寒いに違いないで せう。この時分にはひと いを着ている人達はもう 無かつたのです。 晃は急ぎ足に、本通り に出ようと細道の角を曲 らうとしました。その時 塀の傍らに黒く動くもの を見ました。 晃は生れつき大憺な少 年でした。その瞬間は 足後にずつと下りました が、人間である事を確か めると、安心したやうに 傍に寄つて行きました。 「だれだ!、そこにいる のあ、」 こう声をかけてみまし たが、低く云つたためか 返事がありませんので、 指で肩をつついてみまし 倒れていたのは、十歳 ぐらひの少年でした。小 年は力ない細い声で、答 へてのです。 「タ、タスケ、テ…。 これだけしか云へない やうで、少しあげた頭を がくりと元のやうに下げ てしまひました。 晃は、そのやうな事は たくさん見たり、又聞い たりして知つていました ので、きつと深い事情が あるに違いないと思つた のでした。 「俺の家さ連れてぐべ。 夢中でいつて、その少 年を肩に寄りかからせて 歩きだしました。家は直 ぐ近くでした。やがて家 の前まで来たときに、里 ひ出したやうに肩の少年 に気がつきました。それ までは夢中だつたのです から、そして、その時、 あの鬼のやうなボツポッ アザの出来た主人の顔が まるで電光のやうに頭を 走りました。 晃は、ハツと困つた顔 をしましたが、笑顔とも 泣顔ともつかない、ヘン な不思議な笑ひをしたの です。 晃は自分の寝床である 納屋の中に、その少年を 寝かし、薄い自分の布団 をかけてやりました。 そして買つて置いたパ ンを二ツその少年に与へ ました。キツトお腹が☆ いているだらうと思ひに したから……。少年は眼 で御礼をしながら、黙つ てバンを食ひはじめまし た。やつぱりお腹が空い ていたのでせう……。 その晩二人は一ツの床 に這入つて、仲よく眠b ました。(つゞく) …△第二回〓… 夜が明けると、その日 は丁度年一ペンの休みに なつていました。主人の 誕生日なのでした。その 日の朝は、晃は特別に主 人たちと一緒に膳に座つ て朝飯をたべさせられに した。晃は納屋にいる嘉 らやんのことを心配しな がら恐る〳〵箸を運びに した。 さうさう、その少年は 嘉樹といつて、晃より三 ツ下の十二才の少年でし た。朝飯がすむと主人夫 婦は、町外れの親戚の家 に遊びに出て行きまし た。その朝は久しぶりで 三年前のときのやうに、 やさしく晃に云ひまし 「今日は一日休んで、 ゝからそらああたり、奇 麗に掃除してげよ…。」 晃は、出て行つた主人 たちを見送りながら、し めたぞ、しめたぞと飛上 つて喜び、嬉しくてたま りませんでした。嘉ちや んを座敷に入れ、主人と お神さんだけしか使はな いお膳を出して腹にはい るだけ二人は御飯を食べ ました。 主人は晃に少さなお茶 椀に、二膳だけしか食べ させない程でしたから、 帰つて来たらどれ程しか られるかは解つておりま したけれど、生れてから 始めて友達をみつけた喜 びとで、もう後はどうな つても構はないと思ひま した。しかしお詑をした らどうかして赦して呉れ るだらうと思つたのでし た。大切な人間の命を救 つてやつたのですから… 「お蔭で助かつた。三日 ばかりご飯を食はなかつ たよ。」 嘉ちやんは、大人のや うな口ぶりで、応揚に笑 ひました。 遠慮しないで一ぱい食 んだ。」 満足さうに食ひ終つた 嘉ちやんをみながら晃 はかう答へました。 納屋に帰つた嘉樹はポ ツポツ晃に身の上を語つ て行きました。 嘉ちやんは、東京に近 いところに生れました。 何の不自由もなく親子三 人は暮して行きました。 嘉ちやんの三ツの時に、 お父さんは病気で亡くな られました。それからお 母さんと二人で暮しをし ていましたが、やつてい たお母あさんの商売が失 敗して、故郷を離れなけ ればなりませんでした。 そしてやつぱり晃と同じ やうに廻りあるいて北国 のある町に到いたのです 嘉樹が五ツの時、お母 あさんが、町で流行つて いた腸チフスに罹つて、 嘉樹を残して死んでしま ひました。嘉樹は隣りの 家に世話になることにな りましたが、隣りの主人 は悪人でした。十日ばか り経つて、あの賑やかな 軽業団が、その町に来た のです。みなさんも知つ ているでせう。祭などに 奇麗なたくさんの女たち や、たくさんの男を連〓 てよく来るのを、可哀想 に嘉樹は、世話になつて いる悪い主人のために、 その軽業に売られてしま つたのでした。それから の嘉樹は、毎日泣いてば かりいました。芸が出来 ないといつては、恐はり 顔をし監督か鞭で頭や躰 をなぐりつけたり、一日 ご飯を食はせられなかつ たりして、長い間その軽 業の中で暮して来たので 軽業の中には、やつぱ り嘉樹と同じな境遇の人 達が沢山おりました。そ の中に潮といふ可愛らー い女の子供がおりまし た。やつぱり売られて来 たのでした。嘉樹は十二 になつて、女の子も十に なりました。二人は一番 仲のいいお友達でした。 その軽業の人達は、み んな乱暴な人ばかりでし たから、辛らさに堪え兼 ねて時々その軽業の中か ら逃げやうとする人々も ありました。ですから外 へ出るにも一々厳重に監 視をつけたりしていまし た。 嘉樹の十三の時、何回 かの興行が、お母あさん の死んだ北国のある町で 打たれたのでした。二日 目の夜中から恐しい暴風 が町を包んだのです。そ の晩嘉樹と潮は、そつと 宿屋の裏戸から抜け出し ました。此処を逃げて、 これからどうするといふ 事も解つておりませんで したけれど、たゞ鬼のや うな人達の中から、逃げ たら、きつと何処かに自 ず流れて来る〓をふいて 分達を救くつてれる、や さしい所があるだらうと 思つていたのです。間も なく二三人の足音が、風 の絶え間〳〵に、手をつ ないで走つている二人の 耳に聞こえて来ました。 二人の逃げた事を知つて 追かけて来たのでせう。 二人は夢中になつて、 風の中を走りました。そ れから二十分も経つた頃 嘉樹はハツとして傍らを 見ましたが、潮の姿が見 えませんでした。急いで 後に行つたり、前に行つ たりして、「潮ちやん、う しほちやん」と声をかぎ りに呼んで見ましたが返 事はなく、風の音ばかり が、びゆう〳〵と空に鳴 つているだけでした。 此処まで話して来た嘉 樹は、眼に一杯〓を溜め ていました。 「可哀想だなあ、」 その時までぢつと聞い ていた晃は、知らず知ら 云ひました。 うしほちやんが可哀想 だよ、つかまつたら大変 だなあ!。」 ホツポツと膝の上に〓 を落して、嘉樹は云ひま した。 一人は、おたがひの身 の上を、泣きながら話し 合ひました。 納屋の窓から、遠く〓 える電気柱に、ぼつかり と灯がつきました。 一晃=晃〓」 と云ふ声がカンと晃の 耳に響いて来ました。〓 よりと頭をあげると、ス 口の所にポツボツアザの 出来た主人の顔が、まつ かにふくれあがつてるこ つちを睨んでおりました 『しまつた』と晃は心の 中で叫びました。嘉樹は 俯むいて黙つています。 晃を黙つていました。 「こつちや来。ぐづ〳〵 してねいで。」 黙つて返事をしないの をみると、前より一〓強 く怒鳴りつけました。そ れにあぐらをかいて座つ ていた事も、よほど主人 の気を損こねたらしいで す。 晃は戸口から表へ一足 歩み出した、その瞬間、 自分の躰は土間の上へた たき出されました。 「あの人が、昨夜町さ倒 れていただす、連れで来 たのす。」 晃は半分泣き声で云ひ ました。 「馬鹿〓連れて来て、い つたが、それにこごらも 汚なぐして。座敷さ何用 あつてあがた。」 「どうが、ゆるして。」 晃は土に横はつて、〓 のにじんで行く土の一所 をみながら頼んだ。 「出でげ、貴様みでいな 盗人根生の奴あ、置ぐご と、出来ねい。」 おぢさん、赦してやつ て下さい。」 この時、納屋の中から 走り出た嘉樹は、主人の 前に立ちながら、おろお ろ声でいひました。 こんがぎ!」 その声と共に、嘉樹の 躰は飛はされて、晃の躰 の上に、のしかかつてい ました。それからどれ程 打たれるかは、二人には 解りませんでした。寒い 秋風に、二人は眼を開く と入口のところに投げ出 されておりました。よほ ど夜も更けて、下を流れ る川の音のみが、ザアー、 ザアーと聞こえるばかb でした。 追ひ出された二人は その後親切な人に拾はれ て、学校にも入る事が出 来て、二人とも偉い人に なつたと言ふ事です。 そうそう、それから忘 れてはならない事は、〓 樹と一緒に逃げだした〓 らやんは、あの晩通りあ わせた親切なおぢさんに 救はれて、やつぱり幸福 に暮すことが出来たとい ふ話しです。 -(一九二八、十稿)- 上中小学校晴山吉郎 季節の変り目には余程気をつけなければ とんでもない病気に見舞はれたり、寒さが 強くなつてくると風邪にかゝつたり、二里 か三里も歩くと疲れて一歩も歩かれない様 になつたりすることは余り珍らしい事では ない。しかし風邪にかゝるとか、遠足のた めに足が疲れた位では誰も何んとも思はな い。あまり平気過ぎた事だから、重い病に 罹つて一週間も二週間も続けて学校でも休 むと今度は心配をはじめる、学校にも早く 行つて見たくなる、近所の友達とも遊んで 見たくなる、うちの人達も心配している、 何んとかして早く治したいものだ、治つて くれゝばよいと、毎日の様に医者に聞いて 見たり、神様にお願して見たり、おかげで 治つたと喜ぶものゝ病気した体はもとの体 とは同じではない、体操の時間にも無理を すると具合が悪くなる、楽しい遠足があつ ても行かれない、勿論運動会などにはみん なの様に元気よく運動する事は出来ない、 つまらないなあとがつかりして仕舞ふ。 体病気は何時自分にとりつくか誰も知つた 人は一人もない、そして誰にでもとりつく か、それもまた知つた事でもないが、とり つかれる人と、かゝらぬ人と二種あること はよくわかることです。 丈夫でない人は病気にすぐとりつかれる し、丈夫な人はとりつかれないのです。〓 いしい御馳走をたべると丈夫になるか、4 菓子でも毎日たべたら丈夫になるか、養生 になるものをたべたら丈夫になるか、それ も大事な事ですけれども、それだけでは士 夫にはなれません。肥ては来ますけれども 肥える事と丈夫といふ事は別な事です。肥 えているから丈夫だとはいはれないのです 丈夫になるには食物には注意をしなければ ならないのは勿論でありますが、体をよく 使はなければならないのです。運動をしな ければならないのです。体をよく使へばは じめて丈夫な身体とすることが出来るので す。丈夫な体を得ては病気などにかゝらん て、毎日元気で学校へ行くことが出来るの です。 皆さん考へて下さい。みんな弱いからだ を持つたらどうでせう。誰が働くのです。 働かなければ食ふことが出来ないで死なゝ ければなりません。それは自分だけの事で すが、国の為に働くことも、天皇陛下に忠 義をつくすことも、お父さんやお母さんに 孝行をすることも出来ますか。丈夫な身体 を持つてこそ何んでも出来るのです。昔か ら『命あつての物種』と言つていますがそ の通りであります。 今日は第五回全国体育デーの当日であり ます。『体育デー』て何かと申しますと、日 本国中に住んでいる人々ならば町の人でも 山の中の奥深い所にすんでいる人でも、み んな身体に気をつけて病気などにはかゝら ぬ丈夫な身体にしようではないかと申合せ の日であります。それですから今日はどこ の学校でも、運動会とか遠足とか、体操の 会とか、その他体のためになる種々な会を 開いてたのしく暮すのであります。 学校ばかりでなく青年団、女子青年団で もそれぞれの催しがあるのです。例年なれ ば全国の青年団、中等学校の運動会が東 京で開かれるのですけれども、今年は御大 畳がありますため何かとお忙はしため明治 神宮の競技大会は開かないとの事であり ます。 みなさん、からだの丈夫な人となりませ う。 見よ、この栄光! 『子供の力社』に寄せられた 〓…讃辞、祝辞の雨…〓 佐藤大峰 金沢秀治さんが御見えになりまして、子供 新聞を是非創めたいとおつしやつて、色々 と御意見を拝聴させられたのは、丁度二ケ 月ばかり前だつたと思ひます。先日は又、 赤坂さんの御来訪を頂きまして、色々と御 高説を承りまして御趣旨やら、その内容や らを伺ひまして、誠に同感の次第でありま す。愈々此に第二の国民のために、雄々し くも孤々の声をあげられた事を心から御祝 ひ申上げます。 近頃教育の方針が極めて社会的に進出して 参りまして、最近殊の外、子供さん達の教 養啓蒙に力を注がれてきました事は誠に此 上もない喜ばしい事でございます。 此の広い大きい大自然の中に最も純真に最 も自由に何等の障碍もなく飛躍してをりま すのは、本当に子供の世界だけでありませ う。仏陀は菩薩を指して『童子』と仰せら れたのも無理からぬ事であります。いさゝ かの邪気もなく少しの偽りもなく、天真〓 漫な心は、恰も寂寞の曠野をかざる紅葉の 様に、而も活気横溢の姿であります。 今正に天高く馬肥ゆるのとき、生々として 伸び上らんとしてをる子供さん達は、口に は楽しい歌をうたひ、筆には本然浄裸の文 を作り、自由遊化の楽園に幸をほしいまゝ にするときであります。 「コドモの力』はこの様な〓瀬な、無邪気な 子供さんのための楽園として生れ、フレン ドとして孤々の声をあげたのでありませう どうぞして、子供さん達の社会的指導者と して『子供の力』の日を追ふて強くなり、 やがて我が郷土幼少の啓蒙の大任を双肩に 担ふて立たれん事を祝福いたしてやみませ ん。 殊に本年は当地に於て、大演習が行はれも それおふくも、聖上の竜駕を奉迎したる 光案を担ひました。我々国民にあつても、 永く記念すべき芽出度い事でありました。 この芽出度い儀を祝するために、意義ある 記念事業を起し、皇室と共に、その慶福を 享けたいと念願していました。計らずも、 この好機会に遭遇した貴紙の誕生と弥栄へ ん事を祝します。 〓 小笠原政一 国民として、又個人として、其の将来をも つ子供の力を堅実に、豊富に育てようとす る御社の今回の出版計画を聞き、雑多にし て且つ無反省な読物の多く発行される今日 機を得たものと非常な欣びを以つて賛成す るものであります。 其の趣意に於て、計画に於て立派な社会教 育事業と信じます。 途中挫折することなく永続されるならば子 供にとつて真に幸福なことでありませう。 其の成功を希望し且つ期待する次第であb ます。 土沢小学校佐々木俊随 〓 教育のことは学校と家庭と社会が力を協 せてやらねばならぬ。中にも家庭は教育の 源泉である。世の父兄達多くは児童の教育 を学校に任せきりで学校にやつておきさへ すれば安心だと思つているが余りに有りが た過ぎる。否な何たる暴言であらう。苟く も教育の目的を真に人間を作るといふこと に置くならば家庭と学校との相互において 間髪を容れぬ程の信の上に立たねば達成さ るるものでない。真の教育は信の上におい てのみ可能なりと云ひつべきだ。学校が家 庭を疑ひ、家庭が学校を疑ふやうでは其の 間に立て児童は如何して立派な人間になり 得やうか。之れ木に縁りて魚を求むる類か なである。実に家庭と学校の連絡は児童数 育上最も緊要なことである。然るに学校も 家庭もこの点看過しているのではなからう が真にこの緊要を感じて努力を払ふている ことの少きを〓嘆する。もつと学校当事者 は積極的活動を図るは勿論、父兄達も真に 教育の何物たるかを理解し家庭の改善を図 らねぱならぬ。 同郷の土赤坂君夙にこの点に思を寄せ今回 本紙の発刋を企てらる。而して本紙の世に 出づる使命を聞くに如上の目的を高く世に がゝげて、教育第一を叫ばんとするのであ ると。誠に時弊救済に裨盆するところ少な からざるを思ひ、我が教育界のため慶賀に 堪へない。本紙は飽くまで純真と公正とを 守り、この尊き使命を遂ぐべく伸びんこと を希望して止まない。 花巻高等女学校長大泉重蔵 此度御社より週刋『子供の力』を発行する ことゝ相成り、趣意書を拝見するに、家庭 と小学校との連絡を図る、時代要水の一福 音にして、地方初等教育の為め、双手を挙 げて慶賀する所であります。従つて此の発 刋により将来当地方の発展頗る大なるもの あらんと信じます。 然るに事業は起し易く、之れを永遠に継境 するは、誠に至難なるものでありまして、 或は怒濤の険あり、或は鰐魚の難あり、武 は日暮れて途遠しと云ふ悲観もなしとは保 し難いのであります。故に今後大に奮励努 力、以て目的の彼岸に達せられんことを〓 望して止みません。 聊か卑見を述べて祝詞と致します。 菊池宗憲 草木の種子の本質は種子そのものでなく て、芽を出し、葉を生じ、花を咲かせ、実 を結ぶのが自然の力であり、種子本来の質 である。本来の質に従つて善き花を咲かせ 様と努めても、嫌な雑草が次ぎ次ぎに生え て来て、よき花を咲かせまいとする。人の 心にも人の社会にも恁ふしたことは珍らし い事ではない。だが、花そのものは咲く性 を持つて居る。雑草も亦生える自然の性を 持つて居る。それならば質自然の儘でよい かと思ふと必ずしもさうばかりは断定され ない。野薔薇を大切に培ひドツサリ肥料を しても咲く花は矢張り野パラの花だ。それ を質のよいパラを接木すると台木である野 バラの花は咲かないで接木の美しい花が咲 く、よき指導、よき教育は本性を美化し、 善化する、此の意味に於て初等教育を礼諧 し、『子供の力』の創刋を礼讃したい。 〓 花巻多寡生 赤坂君頃者初等教育の刷新徹底を標榜して 教師、家庭、児童の聯絡の為めに之れが機 関紙の発刋を企劃せらる。誠に地方の新し き試みとして又将に時弊を〓却せんとする 社会の要求として吾人の双手を挙げて歓迎 を惜まざる所の者である。 赤坂君は人格の人である。這般某新聞を退 き、茲に造詣浅からざる初等教育界の為め に全幅の経綸を行はんとす。実に自知の明 ありと云ふべく、又適所適材の按配として 地方教育界の近来の快心事として祝福すべ きであると思ふ。必ずや君が半生の薀蓄と 其の人格の発露とは斯界の巨鐘として時撃 の暁夢を破るべく、吾人は多大の期待と靱 望とを以て其の前途を嘱する者である。 由来初等教育界に教ける学校と家庭との連 絡については耳に章魚の問題である。然る に是れは学校側の常に言ふ家庭に学校を知 らしむるといふことよりは吾人は反対に蜜 ろ学校の教師諸君にも少し地方の家庭的知 識を徹底せしむるの必要がなからうか。そ して之れが反映的教育を児童に学ぶべく一 つ研究工夫することが現下の初等教育とし て最も緊急の事ではないかと思ふ。 吾人は教育上に就ては門外漢であるが、平 素所懐の一端を大演習多忙裡ではあるがこ の機会に一言申して諸賢の一考を望む次第 である。 〓 花巻農学校長中野新左久 皆様の御承知の通り私共の天職は、如何に すればよい農作物や家畜を育て上ぐること が出来るかを理論と実際とから能く研究し それを生徒達に教へて、よい農業家を育て 上ぐる所にあるのであります。 農家が春種を播いてから、秋になり立派な 収穫を得るまでには、容易な心配や苦労で はありません。芽生えたまゝでおけば、充 分暢びる所までのび得ないのです。よくの ばすにはその周囲に生えた雑草も取去らね ばなりません。それ相当な肥料もやり、そ の肥料を食ひ易くもしてやり、多い少いも ないやうにしてやり、雨の日も風の日も常 に見舞つてやり、そして出来るだけ作物が 成育するやうにせねばなりません。子供も その通りでズン〳〵暢びゆく力は内から内 からと湧いて来るが、是れを自然の儘にほ ふておくと、外部から色々なバチルスがや つて来て邪魔をひろげ暢びる所まで暢び得 ないばかりか、或はとんでもない悪い方面 に暢びるやうになります。子供の力は素々 は純なものであります。之れを能く暢すも 暢し得ないも、又之れを赤くするも黒くす るも、学校、家庭、社会等、之れを培ふ環 境の如何によることが多大であります。子 供をよい環境におくと其の力は真つ直ぐに 強く太く立派に暢びて行くのであります。 よい環境をつくるには家庭と学校とが互に 手を握つて、社会自然其の他の環境を子供 に適応するやうに努めねばなりません。か うしたところに教育の真価も生れて来るの であります。 私はかうした意味から今度発行される子供 の力を眺むる場合、特に地方に立脚し活躍 することを思ふ場合、衷心から其の発刋を 祝福する者であります。 暢びんとする子供の力に幾多の障害がある 如く、貴社の前途には必ずや幾多の難艱が 横つてをることを覚悟せねばなりません。 冀くは子供のため、国家のため万難を排し て邁進し其の光輝ある大使命を達成せられ んことを祈望して止みません 花巻小学校藤岡悦郎 此度貴社から『子供の力』が生れました事 は教育界の為めに誠に目出度い事で、心か ら御祝申上げます。 これまでも随分いろいろ教育振興の為めに 発行された読物が沢山出ましたが『子供の 力』の様に学校と家庭と子供とを郷土的に しつくり結びつけて倶に共に教育の向上発 達を計らうとする様な読物は御紙を以て嚆 矢とする様に考へます。若しあつたかも知 れませんが永続したものは少なかつたじや ないかと思はれます。 申すまでもなく教育の事業たるや百年の計 でありまして中々一朝一夕にその効果を収 むる事が出来ませんが従つて其経営なども 中々容易な事じやないと存じます。 希くは貴社員各位の御奮闘によつて国家教 育のため子供の力の長生する様に祈つて祝 辞に代へる次第でございます。 童話越兼峠 〓il 小田島柏竜 昔或所に大〓慾の深い そして恐しいお婆さんが ありました。このおばあ さんは山のふもとに住ん でいました ところが此の山は大そう 大きくて、此の山を世間 では越兼峠といつてどん な偉い武士でも、この峠 をまんぞくに越した人は ありませんでした。それ に隣国に出るには、ぜひ この山を越えなければな りませんが、この峠を越 えるには一日や半日では 越えられませんから、誰 でも山のふもとのおばあ さんの家に泊るのでした 或る日二人の武士は隣り の国に撃剣の試合に加は ゝる為めに参りましたが 夕方にもなつたので、7 の家に一泊することにな りました。 正「頼まう、頼まう」 オウ、オウ、何誰様デー。」 正「アノ今晩一夜の宿を 頼みたいものだが〓ナ ウ、オウ、サア、サア」お 泊りなされといつた顔を よく見たら大そう恐ろー いお婆さんでした。 えらい武士さんたちです から、そんなことは心〓 なく泊りました。 時はもう丑満(午前二時 ごろ)頃のことでした。 今までぐつすり寝ていた お婆さんは、ムク〳〵起 き上つて、押入らしいと ころから、一振の大刀を 取出して、スバリ〳〵と とぎはじめました。「ドレ 切れるかな。」ととぎたて の大刀を髪にあてゝ見る のでした。 なるほど切れ味がよい。 「これで大丈夫た、二人 の首ぐらいは、ウフフ・ …。」と凄い笑みを浮べな がら二人の武士の寝床へ と、足をミシリツ、ミシ リツとはこばせました。 人の武土はこんなことゝ は夢にも知りません。楽 しい夢でも見ていたこと でせう。今に〓されるの も知らないで。 お婆さんは昼のつかれで 前後を忘れてゲッスリ寝 込んでいた武士ののども とにスプーリ刺しました 一人の武士は「ムーン」ひ とこえのこしたまゝ死ん でしまひました。 他の一人の武士はそんな ムドン」ぐらいなうなり ごえでは、目を覚しませ ん。相変らずグウ〳〵寝 込んでいました。この武 士ものどをズプーリと思 ひの外「ぶれいものツ」 と大〓一声、刀に手をか けるが早いか、足をスー ツと払ひました かポンと、足をあげてよ けました。武士と鬼婆は しばらくの間、チヤンバ ラ〳〵やつていたが、ど うしたはづみか武士は過 つて深いいろりに足をふ みはづしましたからたま りません。たちまちやけ どしました。 鬼婆はこゝぞとすきをね らつて武士ののどにズプ ーツと刺しぬき難なく一 人の武土を〓つてしまひ ました。「何んてい弱いさ んぴんじや、ウフヽヽ、 ヽ。凄い〳〵笑みをもら して武士等の寝床に入つ ていきました。 「ドレ〳〵お金はオウカ んまりあるぞ、占めた ツ。」と、 こんなおそろしいすごい 婆でした。 そしてかうしたことは何 べんも〳〵も続いたので この鬼婆もさるもの、ど こで撃剣をならつたもの それから二三日たつてあ る夕暮方でした。 八九才にもならうか、可 愛い〳〵一人の子供は訪 づれました。 この子供は隣国に居るあ てもない母をたづねて、 遠い〳〵途を痛い足を引 きづつて、やう〳〵こゝ までやつて来たのです。 何せ子供のことでもあり しつかりつかれて、この 峠へ上ることも出来ず鬼 婆の家の前に立つたので した。 ゴ「お願ひです。〓・ ……誰じや。」「どうか 今晩一晩だけとめて下さ い。オヽサウカ〳〵 とまれ〳〵。」とこゝろよ くゆるして呉れました。 子供は大そう喜んでこゝ にとまることになりまし 〓「可愛い子じや、これ からどこへゆく。」 鬼婆でもやつぱり可愛い と見える 子「ハイ隣国の母の所に 行きます。」 一人か」 司「ハイ一人です」 「隣国のどこらあたり だ。」 「「〓〓の町です。」 「オウさうか、己れも その町におほえた人があ る。」(つゞく) 童謡に ついて 玩具の船 土沢小学校 高橋芳夫(寄) 子供の力の誕生をお祝します。『子供の力』は皆様や 私達大人の心の故郷とでもいひませうか、私たちは心 からこの可愛い「『子供の力』の伸びて行くのをお祈り いたしませう。 -〓- 私は今、心の故郷に帰 つて、親愛なる皆様のこ とをおもひつゞけて居る のです。心の故郷それは 皆様のやうな楽しいとい ふ心持であり又さびしい といふ心持なんです。さ うした心持を、そのまゝ うたひ出すのは童謡です ね。心の故郷-お母さん のお乳が恋しく思ふそれ なんですよ。でも私は大 人なんだから、お母さん いつたやら 西条八十さんの童謡です 星謡の小父さんですから 皆様も知つているでせう 唱歌の時間にでも先生に 教はつたことがあるでせ う。うたの心持が分りま すね。作者の心持が-う たの調子なんかよく味は つてみて下さい。 雪の降る夜に 母さんのー なつかしいうただと私 は思ひます。私たちも幼 い時お母さんに抱かれて 色んなかあいゝ事を思ひ 出したりした事があるで せう。玩具の船を持つて 夏の川原で遊び戯むれた ことを、雪の降るしづか な晩、お母さんのひざに もたれてほんやり考へて 居たんですね。夏の川原 に忘れた船は、ほんとに どこへ流れて行つたので せう。 皆様にかうしたなつか しい思ひ出がなかつたで のお乳を呑みたいわけじ やないのですよ。お母さ んの胸に抱かれた幼い夢 を見るのです。 玩具の船 雪の降る夜に 母さんの ひざにもたれて 思ふこと 赤い帆かけた 玩具の船は 夏の川原に 忘れた船は どこへ流れて 夏の川原にせう せうか。いやきつとあり ます。私たちはふだんほ んやりしている時。は何 んにも頭に浮んで来ない けど、いつか自分に帰る ことがありますね。何か に夢中になつて居るか、 さうでなければ、何んに も考へる事なしにほんや りしているとき、急に眼 かさめたやうに、自分と いふ者の姿をはつきり見 凝めることがありますね その時です。色々のなつ かしい思ひ出があつたり 様々な事を考へ込んだり するのは。 ある晩、お斜をする年 老ひた母をじつとみつめ ていましたら、私が五ッ 位の時、お砂糖をねだつ て泣いた事がひよいと即 ひ浮んで来たのです。 黒砂糖 砂糖ほしさに 泣いたつけ あん〳〵〵と 泣いたつけ 母さんせつせと 針仕ごと うるさい子だねと 針しごと だけども僕は 泣いたつけ 悲しそにして 泣いたつけ 問さんまけて 戸だなから 黒いお砂糖を 出したつけ お砂糖なめ〳〵 笑つたつけ 涙をふき〳〵 なめたつけ どうか笑つてやつて下 さい。 静かな秋の夜です。学 校の宿直室は私一人と雷 灯の明るさとだけです。 今回は、玩具の船と題し てこの一文を書きました これから度々書かしてい たゞきます。では次に又 お目にかゝりませう。 -(一〇二二夜)- 文苑 私のお寺 和賀郡軽井沢校 尋五諏訪文英 〔諏訪文華 私のお寺へ のほるには 小やぶつゞきの細い道 たまたまやさしい せきれいが ちゝん〳〵と鳴いてくる 私のお寺の 父さんは お伽噺が上手だよ 夕やけ小やけの 空のいろ お寺の障子が燃えている ほゝづき 和賀郡軽井沢校 尋五菊池レン 私のすきなほゝづきが今 年もたくさんなりました 秋晴れのよい天気にほゝ づきかりに行つて見まー たら、まだうす赤いと思 つていたほゝづきが、ど れもみなすゞらんのやう なほそいつるに赤くきれ いにじゆくしてほゝえん でをりました。そのほゝ づきのからをひらくたび に赤いしんじゆ色をした ほゝづきが、かほを出し ていました。私はほゝづ きがほんたうにかゆ5 ございます。 小猫が居ない 和賀郡軽井沢校 尋四下坂ハル子 「今朝は小猫が見えない」 と皆でさわいだのは四五 日前の朝飯の時でした。 きつと親猫が何所かへつ れて行つたのだと、それ からは毎日親猫のやうす を注意して見ました。 その内にはつれて来るか もしれないといふことで したがどうしてもつれて 来ません。親猫の乳をし らべて見ましたら飲ませ ているやうすです。親猫 は夕方になると家の前の 山に行くやうでした。 昨日は親猫のあとを追つ かけて行きますと猫はい がんでまるくなつてにげ てしまひました。 山を一生けん命探がして 見ましたけれ共つひに見 つけかねました。 ほんたうに小猫はどこに 行つたのでせう。こまつ てしまひました。 きのことり 和賀郡軽井沢校 尋二菊池ノリ きのふおねえさんと二人 で、てるてるほうすをな がしたので、けふはよい お天気でした。学校で三 じかんならつてからせん せいにつれられて山へ行 きました。たくさんきの こがあるだらうとおもつ て行きますと、一つもあ りませんでしたので、い ろいろなあそびをしてか へりました。 姉の死 黒沢尻校 高一赤平タマ 父は火びとの横ざに坐つ て「政はもうたすからな いんだ」。といかにも悲し さうな声でいつた。私も 悲しくなつて、〓がぼろ 〳〵と出ました。母はご はん仕度をしていました 仏様さおままあげろや」 「はい」といつて私は仏様 と神様にごはんを上げい ね子といつしよにごはん を食べて学校に行く仕度 をしていますと、父は「も しも今日にも死んだら知 らせるから早く行けもう 七時半になるぞ」。 私はいね子を先にやつて 父母に「いつて参ります」 と言つて家を出た。歩き ながらも行く先の事、姉 が死んだらどうしたらよ いだらう。父母はもう五 十の年をこえて働くに不 自由なんだし私と兄さん と二人で姉のかた見の子 供たちをよい方にみちび かねばならない、などと 一人考へて学校に行つた 学校に来ても一向勉強に 気がとられないで姉のこ とばかりに気がとられて ならなかつた。そして授 業が三時間すぎておひる をたべて〓下に出ようと すると、そめちやんが来 て「玉ちやん死んだど」 といつてぞうりを前の 方にすべらせながら言つ た。私は何がなんだかわ からなかつた。 「あらそれでえ先生にい つてけてなさ」。といつて かばんに道具を入れ、皆 にさやうならをいつては しごだんを下りて行くと だれだつたか忘れたが、 「おひまか」と言つた。私 は「あん」と答へると「な にして」「姉さんが死ん で」「あら-こまるべ-」 といつた。このやうに五 六人にきかれた。皆は元 気よく遊んでいる様子を 見ると何んだか私だけさ びしいやうでたまらなか つた。歩いているうちに 校舎のはじまでくると、 てるちやんが、「たまつち やんこまるべ」といつた が私は只かしらだけで言 つて何も言へなかつた。 すこしたつと哲子さんが 稲子をつれて来た。「いね 子が先生に言へないで居 たからおれがいつてくれ た」。といつた。 私はいね子といつしよに 帰つて来た、途中でいね 子がすく〳〵と泣くので つい私も〓がぽろ〳〵と 出ました。それでも道を 行き来する人に見られる とはぢかしいので〓をふ き〳〵いね子をなくさめ て家までやつて来ました 家にはお父さんと兄さん と前のお父さんと三人で 何か相談をしていました お母さんはそこらあたり の物をかたつけていまし た。姉さんはふすまのか げになつて、前には机が あつてろうそく、せんこ う、お花、だんご等が上 げてあつた。 私は姉はふすまのかげ〓 なつているのか、なんた らなさけないこんな運命 をもつたのだらう、かは いさうにあゝと心の中で かなしみがたくさんおき て来た。けれどもどうす ることも出来ない。いね 子は「あらあ今からはか ゝちやんが死んだから、 ばゞのいふことをき ぐ-」といつてなき出し た。だん〳〵高い声で悲 しい声で泣いたので私も それに引かれ〓がぼろ 〳〵と出ていくらふいて も〳〵出て来た。 少したつてから板をはい て、消毒をして、それか ら障子にも消毒をしてか ら私たちもした。姉は悪 い病気にかゝつたからで す。 姉は唯二枚ばかりの着物 をきていた。便所や家も 消毒した。向ひの家で姉 さんにきせる着物をこし らへて居つた。大ていの 人は「姉が死んでさびし かべ-」。とか「いね子は 二年生にもなつたからい いんだとも後の二人は五 つと二つだもの、ぢんづ ばんばは、どんなにして あつかふべ-ひでえがべ な」等と口々にいつてく れました。 院に行つて見るとおかあ さんはちゆうしやをして 居たところでした、まる でやせてくるしさうに- て居ました。私たちは行 つたのでおかあさんは寝 かあさんをよくして下さ ればよいと思ひました。 苦しさうなおかあさんの 前でお菓子をたべてもさ つぱりうまくなかつた、 家の方のことを話して聞 お母さんの病気 和賀郡立石校 尋五多田誠 私のおかあさんはからだ 弱いので時々病気をなさ います、今年もひどい病 気で先月から花巻病院に 行つています。家には私 と妹二人、おとうさんは 夜お帰りになるだけです さびしいやら心配やらで 学校に居てもほんやりし てことがたび〳〵です。 昨日はお休みなので花巻 病院に妹と二人で行きま した。汽車はずいぶん7 んで居ましたが、大人た ちは立つて私どもを腰か けさせてくれました、晴 山をでる時は九時十七分 でした、花巻についたの は十時十七分でした、病 秋 南城校尋四高橋徳右衛門 夕ぐれにお寺のかねはごんとなる からすカアカアないてかへる 竹やぶにすずめのこえもきこえます ヂンチンチンと秋の日よりに 学校のそばの松の木いつみても 玄くわんばんしているやうだ 南城校尋四佐々木勇 色づいた庭のかへでは美しく さら〳〵ゆれておちるのもある。 音高く汽笛ならして鉄橋を ゆふ風きつて汽車走りゆく。 すみきつた秋のお空を飛行機は 音いさましくとびまはるなり。 ないで起きて居ました、 私どもも面白かつたし〓 かあさんも喜んだのでー たが家に居た時のおかあ さんのやうではなかつた おいしやさん達は早くお かせたりして終列車でか へりました。おかあさん を病院においておかあさ んの居ないさびしい家に 帰りました。おかあさん の病気はいつになつたら なほるでせう。 ▽花城校作品△ 〓 この頃あつたこと 尋三朴沢謙一郎 私は床にねていると、だ れだか戸をがたがた、た ゝいた人がありましたの で、私は「母さんだれか が戸をたゝいているよ」 といひますと、母さんが おきて戸をあけました。 兵隊らしい人が「すこし 休ませて下さい」といつ て裏へきて戸をはづしま した。時々兵隊さんたち は、あかりをつけるので 兵隊さんたちのかげぼう しが障子にうつります。 兵隊さんたちは、寒い寒 いといつてねています。 まもなく、ぐうぐうとい ふいびきがきこえてきま した。つかれているので せう。少し上つているや うな兵隊さんが、お母さ んに「今日で三晩ねませ んからね」といひながら 表へ行つてしまひました ねまきで外へでて見ます と、けんつけてつぱうを もつた兵隊さんが番兵を しています。 一時間もたゝないうちに しゆつぱつ」といふごう れいがきこえました。皆 起き上つてくらい外へ出 てゆきました。 へいたいごつこ 尋二松島良雄 私たちのじんは、杉ばや しでした。そして私は中 将です。すゝめ、すゝめ とごうれいをかけてすす むのでした。 いさましくたたかひまし た。そしてからもどつて 又すすんでたたかひまー た。そしてとうとう私 りの方がかちました。又 一、二、三といつて、7 んどはまけました。 なんくわいもしました。 中々しやうぶがきまらな いのでやめました。 きのことり 尋二上野九二男 私どもはきでのへ、きの ことりにいきました。そ してあみのめをとつたり している中に、雨がふり さうになりましたので、 家へかへらうとしてある いてきますとはつたけが いつぱいありました。私 は誰にも、みつからない やうにそつこ、そつこ、 とみんなとつていきます と、みんなにずるいとい はれました。それで又皆 をつれてそこへ行つて〓 ますと、大きいはつたけ が草の中にありましたの でとりました。皆でそこ らへんをいつしようけん めいになつてほりますと いつぱいありましたので 大よろこびでみんなとつ てしまひました。そして いる中にはきごにいつば いになつたのでうちへか へりました。晩にはきの こじるをたべました。 こげ御飯をだして 高二高橋サキ ゴト〳〵〳〵、プー〳〵 〳〵と御飯が〓え立つて いる、私は漬物をだして いたが中々手を離されな い、雪子、雪子と妹をよん だが一向返事をしない。 重い石をやつとのことで のせて大急ぎでふたをと つた、米はごぼ〳〵と白 由になつて愉快だといふ 風にはね上つていたがそ ろそろ水がひけたのでふ たをしたら、又もやふく れ上つたのでふたをと( たら一度に湯気がぷーつ と上つて勢よく私の手に つきあたつた、思はず「あ つ」と叫んだ拍子にふた が灰の中へおちた。その 中に湯がひけてしまつた 私はおとしたふたを水で 洗つた、そのうちに御飯 がみり〳〵〳〵とこげる 音がする。 急いでさげようとして王 をかけたが、アルミだか らとてもあつい。何かも つものがないかと思つて あたりを見廻したが何も ない。 その中に御飯はえんりよ もなくこげる。今度は着 物のはしでもつたがとて もあつい。でもやつとの ことで御飯を下げた時に はもうこげくさい臭が室 一ぱいに満ちていた。 高一小山田慶一 朝ふと目がさめた。僕の 側にねむつていた弟が、 夢を見ているのか、にや りと笑つている。夜は静 かに明けてゆく。ほのほ のと東の空が白んで来た 僕がむつくり起きて外へ 出て見ると広い〳〵お空 に数知れぬお星がぴかび かと光つている。見てい る間にだんだん星の数も 少くなつて行く、もう其 処此処ににはとりの鳴き 声が聞えてくる。夜はす つかり明けて明るい朝と なつた。 己こ丁○て5 いさしをよくして下さ とんほとり 高二鶴田千代吉 「久治」僕はよんだ 「先づ先づ」と小声で 久治はこたへない そつと手がのぴた とんぼは墓の上で 動かない 羽がいきなり光つた。 んで来るあの飛行機はゆ くわい、さうです。「今朝 月の夜 稗貫郡花城校 高一高橋睦子 どこかで虫が歌つてます 月に浮れて 黒い夕顔の葉が踊つてま す凉風に吹かれて 月は青白く照らしていま す、皆の顔を だまつてみんな月を見て ます、虫が歌つてます。 〓 飛行機 稗貫郡矢沢校 尋三鎌田善吉 毎日うなりを立てゝと も私はねているうちに一 だい、もりをかの方に行 きました。」とねいさんは 言ひました。 朝学校に来る時一だい又 〓秀校学小城花 見ました。その飛行機は ずつと下つてまるで下つ た時、私たちは花巻のグ ランドに下りるだらうと 思つていると、どこのか 人は「花巻に下りる所は ないだ」。といつて行くも のがあります。飛行機は やはりだん〳〵上りまし た。 学校にきたとき又南の方 から一だいとんできまし た。お日様に羽は光つて いました。よく見れば、 両わきに二本のはたが、 ありました。あれは北軍 と南軍とわかれて、いる さうです。もう飛行機な どはあきました。こんど はえんしゆうを見たいと 思つています。 子をふところに入れて暖 めてやりました。雀の子 は少しびつくりしたやう な顔付をしていましたが それでもぢつとしていま した。その晩は箱の中へ されを入れてその中にね かしました。 よく朝私が起きて見ます と雀の子はもうちやんと 箱から出ておざしきをち よこ〳〵歩いていました それから私は雀の子を肩 にとまらせてお母さんの 所へいけといつてはなし てやりました。私は雀の 子のすがたが見えなくな るまで見送つていました 雀の子 稗貫郡矢沢校 尋四川村きぬ 此の間の夕方私が外であ そんでいますと姉さんが 「ちよつと」とお呼びにな つたので急いで行きます と姉さんはかはいゝ雀の 子をだいていらつしやる のでした。私はその雀の 私のぼうし 和賀郡立石校 尋三長洞良一 私のぽうしは二年生の秋 のをはりに買つてもらつ たのです、もう大へん色 がさめて、ぐにや〳〵に なつていますが、それで もがまんしてかぶつてい ます、お友だちがいゝほ 〓 うしをかぶつてるのを見 ると、私はじぶんのへん なほうしが、はづかしい やうな気がします、けれ ども、私はこのぼうしが 早くこはれてしまつて新 らしいのを買つてもらい たいとは思つて居りま円 ん、すつかり、こはれて しまふまで、大切にして かぶつている気です。 秋の夕暮 和賀郡谷内校 尋五浅沼文一 (一) だん〳〵日が暮れはじめ た。風も吹かないのに、 寒さが身にこたへる。ど こかで虫の鳴く音がき? える、すきとほつた良い 声だ。みねつゞきの山の 上に、ふはりと一つの白 雲が見えたかと、思ふと もう山をはなれて、こつ りへ飛んで来ている。一 つ又一つと、だん〳〵〓 くなつて、自分の思ふま ゝに飛びまはつて、一つ の大きなかたまりが、三 つにも、四つにも、分〓 てぶつかりさうになる程 である。空には風が吹い ているのだらう。 (二) コスモスの葉、豆の葉に さはつて見ると、ひやり と冷たい水のしづくが手 にふれてぱら〳〵と落ち る。 だん〳〵あたりがうすほ んやりとなつてきた。星 までも寒さうにびか〳〵 と青く光り出した。 遠くで水を汲むつるべの 音がさびしさうに「キ・ キー」と細く聞える。寒 い〳〵心さびしい夕暮〓 だ。 試問 和賀郡田瀬校 高二菅原タカ 一時間目の鐘がなった。 私等の胸はかすかに鼓動 がうち始めた。整列をし 教室に入つた。皆は教科 書をだしてすら〳〵と頁 をめくつた。私もすいと 本の方へ目を通した。本 の中には知らない文句が 幾度となく出たやうに思 つた。間もなく階段がみ しり〳〵と音がして菅原 先生が入つてこられた。 本をしまつてといふ先生 の一言が更に胸の鼓動を たかめた。そして冷水を 浴びせられた様な気がし た。間もなく頭顔体があ つくなつてきてひたへか ら冷い汗がぽたり〳〵と 落ちて来た。 問題がだされた。私の知 つているのは一つもない 皆はすらすら筆を動かし ている。私も一生懸命に なつて黒板をにらみつけ たが…… 教室は水をうつたやうな 静かさである。もう一度 黒板をにらんだ時は黒板 はかすんでいた、それと 同時に胸の鼓動が猶更は げしくなつた。 さむくなつたこと 和賀郡土沢校 尋二菊池良治 もう、さむくなつてきま した。私のうちには、き くの花がさきはじめまし た。小さなつぼみがたく さんついています。この つぼみがひらくと、赤い のやきいろなのや、白 いのや、さまざまな花が おにはいつぱいにならん で大へんきれいです。白 い花がさいたら、明治節 に学校の式にもつて行か うと、思つています。 夕方 和賀郡土沢校 尋五阿部アサ すゝきが白いよ ゆれてゆれて白いよ。 また虫が鳴くよ、 くすの木のかげだよ。 はつばが光るよ、 ぬれてぬれて光るよ。 秋の野原 和賀郡土沢校 尋四平野次男 秋の野原は 美しい 黄色い葉つぱの 着物きて 風に吹かれて 動いてる きゆうぴうさん 稗貫郡花巻校 尋四八木すげ 昨日小間物屋からきゆう びうさんを二つ買ひまし た。まるはだかなので、 ねえさんにりゝあんでほ うしとふくをあんでいた ゞいて着せました。 私のきゆうぴうさんは一 寸ぼうし位の大いさです が、顔もからだも丸々太 つて目はぱつちり、それ はかはいらしうございま す。とがつた頭にぼうし をかぶせ、太つたからだ に小さなふくを着せた所 は、又一そうかはいらし く見せます。 京ちやんとりつ子に一つ つつかした所はよろこん て持つてあそびました。 私はどうしてもくれてし まふことは出来ませんで した。 小さなパン売り 稗貫郡花巻校 尋六森沢シズ 日の暮れかゝる頃私は弟 を負つて停車場に遊びに 行つた。 其処にはかあいゝ七才ば かりのロシヤ人と其の子 の兄らしい人とが二人で 「をぢちやんアンバン胃 つて下さい」。と云ひなが ら待合でアンバンを売つ て居た。やがて兄らしい 人がみんな売つてしまつ たが小さい人のバンは一 向売れないつて目に一ぱ い〓を浮べて「をぢちや んアンパン買つて頂戴」 と小さな声で云つてるが 誰も買つてくれる人がな い。私はその様子があ〓 りいぢらしかつたので売 らないとお母さんに叱ら れるのと聞くと「叱られ る」と泣きさうな声で答 へた。 さうしてる中に向の方か らお巡さんが来た。「売れ ないでそんなにうろ〳〵 してるのかい、こんなア ンパン買ふ人がないんだ さつさと家に帰れ」「明日 からは此処に来てはなら ないぞ」と叱るやうに言 ひ去つた。 アンバンは沢山残つて居 るし、五時の汽車にも遅 れ、日もとつぷり暮れて あたりは如何にも静かに なつた。 しかしロシヤ人二人は々 日を浴びていつまでも〓 んやり立つた居た。 青い柿 稗貫郡花巻校 ト 尋五牛崎トモ お隣りの柿が熟しはじめ ました。 今年は柿のあたり年で、 枝が折れるほどなつてを ります。 赤く熟したのはじまんさ うになつています。わた し達の手のとゞきさうな 処に小さい青い柿が一つ 見えます。 学校ではそんなでもない がお家へ帰ればきかなく なる正三さんが、長靴を はいて色の黒い顔にいつ もの大きい目をくり〳〵 させながら出て来た。 とう〳〵やつぱしわたし の思つてた通り柿のそば によつた。けれどもみな 高い木の上になつてます ので、残念さうに見てい ましたがこの青い柿をみ つけてしまつた。手をの ばしつまたてしてその青 い柿をぽちりとつたそう ら今食べるぞと見ている と一寸なでゝ一口ガチリ かじつた、とあの顔をし かめてスベツトはき出し た。 食ひかけの柿をみつめて たがせきになげつけた。 せきの水は昨夜からの雨 で真黒にもや〳〵にごつ てる。 投けられた柿はひとりで どぶの中でなげいている 事でせう。 鉄ぼうどん〳〵 やほうもどーん〳〵 秋のえんしうおもしろい かへつてみれば 古川安忠 運動会 稗貫郡花巻校 尋三鎌田フク ぷかぷかどんどん かへつてみれば 仲よしの 果もの店が なくなつた。 どうして店を やめたのか 小母さん居ないで 寂しいな。 うんどうくわい ねこのたいきやく あつはは みんなのゆうぎ おもしろや みんなのだんす おもしろや ゆうぎだんす いさましや みやげ買はずに ほんやりと バスケツトさけて 立つていた。 ぷかぷかどんどん すすき うんどうくわい 和賀郡土沢校 秋のえんしう 碑貫郡花巻校すゝき。 尋六平野定男 沼のそばの すゝき。 ほをたれている。 根本の泥の中で かへるが一匹 じつと 尋三猫塚善徳ほをたれている。 秋のえんしうおもしろい根本の泥の中で 空にはひかうきかへるが一匹 りくには兵隊いさましいじつと 青い空を ながめてる。 はいて傘もさゝずにやつ て来る。僕は「どごさ行 びさした。僕は「えがね えだ」といつて、せきに 或日 和賀郡土沢校 尋六小原寛 朝から、しよぼ〳〵と隆 り出した雨はまだ止まな い。 僕は机によりかゝつて、 ほんやりと五月雨の降る のを見ていた。表では学 校かへりの三四年の女生 徒が雨にぬれねずみにな つて行く。その時あちら こちらから大人の声がき こえる「せきがやぶれた ぢや」するとあちらの方 から雨笠やけらをきて、 たへんだ、たへだ」。と いつてかけて行く。僕は 長靴をはいて傘をさして 家を出ようとした。する と家の方から「どごさ行 ぐとごだれや」と母のこ えがきこえる、僕はや」 といつたきりでかけ出し た。すると、となりのに さちやんが大きな下駄を ぐどこだべ」。といつたら まさちやんが「あそごさ」 といつて、せきの方をゆ 行つて見たらまるで濁水 がせきをこして流れてい る。上手の方では人が里 品作校学小沢土 山のやうに集つている。 僕はそれを見に行かうと 思つてか けだすと 今水の上 にたづう かんで流 れやうと する橋を わたらう とするま さちやん !。僕は 行かうと すれども 行かれな い。その 中にまさ ちやんが 一足ある いた。「あ つ〓」と 叫んで僕 はジヤ ブン」と 飛び込ん だ。僕はなにがなんだか わからない。たゞまさち やんを手にだいたのがわ 〓の かる。身にかんじるつめ たさ。まさちやんは大き な声でないた。僕は堰ぶ ちの草などにつかまつて 上つたまさちやんはまだ 泣いている。僕はだき上 げてまさちやんの家につ れて行つた。家の中には いつて行つて「まさちや んがせきさはいつていだ つた」。といつた。すると 家の中にはたらいている 人々は皆僕の方をむい た。僕は口をもぐ〳〵し ながらかへらうとした。 すると「ありがと」といつ て僕をひつぱつた。「い を(いゝです)一といつて まさちやんの家を出た。 看物からは水がほたりほ たりとたれる。急に長靴 がおもくなつたやうにか んずる。着物をよごして 家の前に行つたが、はい れさうもない。たゞ母の おつた顔が目の前に見え る。そしてしと〳〵降る 雨が、僕が「家にはいる んだ」。と言つているや ご真黒こもや〳〵にご 鉄ぼうどん〳〵 うな気がするすると女中 が「家さおへえれんせ」。 とずるけていつた。 僕はそれにたいして笑ふ 気にもなれない。又家の 中の方から母がわらつて 「はいれ」とやさしく言つ た。僕は下の方を向いて 家にはいつた。すると母 が「これやまさちやんの おがさん(小母さん)がら ももらつたぢや」。カステ ラを二本出した。僕はそ のかすてらをふところに 入れて二階に上つた。 今、母がまさちやんを堰 からあげたことを知つて いるだらうかなどと思ひ ながら着物をとりかへた 僕の馬ひやし 稗貫郡八幡校 等五高橋庄四郎 僕は此の頃馬をひやせる やうになつてきた。 口わをつけるとき馬は僕 をからかつてわざと頭を 僕のとどかない所へやる が、僕は縄をたどつてや う〳〵馬の口をおさへ口 わをつける。それから外 へ引き出して手づなを両 方の口のわきにゆはえつ け、馬のくびを縄と縄と の間に入れて手づなの端 へ足をかけて乗る僕は小 さいのでこれはなか〳〵 容易でない。そのうちに 馬は家の後の方へ行かう とするので手づなをまは して門口から出て行く。 途中所々で草をたべよう とするが、手づなを引き しめて歩かせる。 川へ行くには少し坂があ る。その坂を下りきると 川である。 川の上へ上り馬の足が半 分程かくれる所まで行つ て五分位川の中に居つて 帰る。帰トには走りよう とするので少しはしらせ る。 小さなかめ 稗貫郡八幡校 尋四田中律子 私の家では小さなかめを うらのせきの中に、針金 てつないでおきます。毎 日学校からかへると、か めを見ます。おさらひを してから、又いつて見ま す。昨日おひるすぎに、 ゆり子さんがあそびにき ましたので、お手玉であ そんでをりましたが、〓 めてかめを見にいきまし た。私はかめの頭の上に 指をやると、頭をひつこ めてしまひました。手を とると、へびのやうな頭 を長く出しました。こん どはゆり子さんがすると 又ひつこんでしまひまし た。あまりおもしろいの で、むちゆうになつて、 をかにあげたり、せきに 入れたり、日のくれるの もわすれてかめとあそび ました。私はかめはほん とうに、かあいえくてな りません。 秋の月夜 稗貫郡八幡校 高一鎌田みよ 非常によい月なので姉さ くりひろひ 和賀郡小山田校 尋二伊藤ケイ 私はまい朝はやくおきて くりひろひをします。〓 ばあさんは大きなはきご へひろひます。私は小さ なはきごへひろひます。 からからとなんほもおち るからひろつても、ひる つても、まだあります。 風の吹くときは、すぐは きごへいつぱいになりま す。 んと私と散歩に出た。 すみ渡つた空には、きれ いな月が出て弱い光を地 上になげつけて居る。 時々、はだ寒い風は私達 を吹きつけては向ふの林 を騒がす。 今最後の営みに余念ない 栗の木もやがて間近い中 に葉一枚ない枯木となる であらう。つかれきつた 足もとの草は弱い月の光 りに照らされつゝ、秋の かなしさを物語つて居る 清い空気を破つて、かす かに聞ゆる尺八の音も本 当にあはれである。 私と姉さんはお空に向つ て菅公の唱歌を繰返した 何辺も繰返した。 あゝ此の月が昔頸紫へ流 された菅原道真公を照ら した月であらう。 又ベートーベンは月光の 曲をひいた時に窓からさ しこんだ光も此の月の光 であつたであらう。」と感 〓無量であつた。 大エンシユウ 稗貫郡南城校 尋二伊藤ハナ 大エンシユウヲ見ニオカ アサントワタクシトアカ ンボモイキマシタ。 デンシヤノアルクセンロ ヲコエテズツト北ヘイキ マシタ。ソシテテイシヤ パノソバマデイキマシタ ヘイタイサンガタクサン ハセテイマス。セキノソ バデ見テイマスト白ノヘ イタイサンガ四人キマシ タ。テツポウカツイデ草 ヲシヨツタ人モ来マシタ アカハ二十人バカリキテ 火ヲダシマシタ。サウシ タレバミンナハビツクリ シテ見テイマシタ。 ドドドドドドトナツテワ タクシモビツクリシマシ タ。 御明神様の四季 稗貫郡南城校 尋四神山喜八 私の内から東の方一町半 ぐらいだと思ふ所に明神 様のお社があります私は 時々そこに行つて遊びに す春は桜や梅が咲いてき れいであります又社の後 にある杉の木は緑色の若 芽を出し美しくなります 夏は直ぐ下を流れている 北上川で水泳ぎをするの が見えますあたりは青々 と草木はしげりお社の前 の湧水がドン〳〵と凉し さうに流れてなんともい はれないよい気持であり ますこれからは北上の紅 葉の山を遠くながめるこ とができます私は写生を する度に枯草の上にすは りこんで虫の声を聞きな がら見とれるのです冬に なるとそこら一面真白に なりお社の杉の木が綿の 着物を着て寒さうに見え ます雪のつもつた赤い鳥 居に烏が二三羽止まり北 上のつめたい流をみつめ て何かえさをほしさうに している姿も見えますな んといつても冬は一番さ びしいのです冬になると いつも早く楽しい春をま つばかりです。 大演習を観る 和賀郡小山田校 高二一ノ倉弥六 勇ましいひゞきをあたへ 空の勇士と言はれる飛行 機を見るごとに、盆々興 味多い演習の想像はとめ どなく湧き起る。待ち遠 し五日の日もとつぶりと 暮れはて、あたりも次第 に暗くなつて行く。はる かに望む、花巻の空も、 興味と共に起る憂の雲が 漂ふていた。ポーと起る 汽笛の音、はるか山をぬ つて聞ゆるふくらうの鳴 声、実に淋しい夜となつ てしまつた。 空には星一つなく次第々 々に黒雲におほはれ、僕 は唯ばうぜんとして見と れて居た。楽しい夕飯も 済み、明日の凖備に取り かゝり、万事整へ楽しい 床につく。 けたゝましいねづみの音 におどかされ、ねむい目 をこすり、つまづきさう な足を引きづり〳〵仕た くに取りかゝる。辺はま るで静かで真夜中のやう に感じた。〓然辺の静か さをやぶつて、コケコッ コーと鶏の声、同時にざ わ〳〵と雨の音、あゝ残 念だな今日の喜ぶべき遠 足も、……と思ふ瞬間、 後から〳〵と考へ起るう れしさもすべて悲しみと 化し、〓むべき雨の音を 聞くにつけ、僕等の遠足 に対して幸をあたへてく れぬ神々に対しては、情 らずには居られなかつな 時やうやく過ぎて時計も 四時半をうたうとして居 る。 急ぎ仕たくをし家の門を 後にした。近所の家も楽 しいねむりについて居る のか、音一つなくほの暗 い外灯を見る度になんと なくさびしさを感じた。 赤とんほ 和賀郡田瀬校 尋四朝倉豊子 私が夕方勉強をしてから なんのきもなく、うらへ でゝいましたら、赤い着 物を身につけた、とんぼ がとんできて、私のひざ の上に、そつととまりま した。その時私は赤とん ぼにいひましたの、「なぜ いつも赤いべゝばかり着 てますの、」と…… でもとんほはなんともい ひませんでした。そして たゞ、赤いおべゞをばか 〳〵しているのでした。 農家 和賀郡田瀬校 高二朝倉門十郎 楽しい農家の運がまはつ て来た。春の雪の消え時 より手入をして待ちに待 つていた農家の取入時が 来た。もう稲刈もはじま つた。稲の穂は頭を地に 伏す。昼は太陽は拝す。 夜は月早く出でゝ照らす 農家の人々を喜ばせよう と思つて刈取られるのを 待つている。農家の者は 喜んで秋を迎へた。村の お祭も早や過ぎた。喜び の叫びは天地にあふれて いる。我等はこの為にこ そ楽しい月日を送つてい るのだ。 故に我等は勉強に力をつ くして立派なる人間とな らなければならない。父 母の恩に報ひなければな らない。今から後は愈々 農夫となつて働かなけれ ばならない。 稀なる村の実のり農家の 者はどんなにか喜んでい るだらう。農家の子供等 もおあしを貰つて喜んで 店に買物に行く。 童謡集 『豆の兄弟』 土沢校で発刊 土沢小学校では、今回童 謡集『豆の兄弟』を発刋 作たが、これは同校六年 児童の、尋四時代からの 作品を集めたもので百篇 和賀郡小山田校 尋伊藤ナツノ (一) 昼の間まだあせがでて、 暑いと思ひますが、朝晩 何となくからだに寒さが しみわたるやうです。 をぢさんのすんで居るう みべの町のかいすいよく の小屋も、もうかたづけ られて、うみにおよぎに 出る人のすがたも、まば らになつたと、をぢさん の手紙に書いてありまし た。さう言へば気のせい か、空もなんとなくすみ 百頁のもので、児童の新 鮮なる純情がみち溢れて いる。小学校の綴方科の 鑑賞教材としても、好滴 のものであらう。一部実 費参拾五銭の由、希望の 向きは、土沢小学校内高 橋芳水氏宛申込まれたし と。 渡つて。 (二) さわやかな気分が、天に も、地にも、みち、みち ているやうです。せどの 柿のみの、赤く色づくの も家で栗ひろひするのも もう遠くないことだと即 ひます。 たのしい遠足も、待たれ たことの一つです。 時報 △去る十月廿八日(日曜. 午前九時より花城小学校 に於て、同校尋常一学年 生及花巻幼稚園生の母の 会例会を開いたが、先づ 其の実地授業を参観し終 つて例会に移り三田花城 校長の訓話及各受持訓導 の感想あり、次いで学校 側と母の会側との打寛い での懇談があつた。 △和賀郡土沢及安俵小学 校では去る十月卅日秋季 大運動会を開き何れ盛况 を極めた。 本社賛助員芳名 稗貫郡 稗貫郡八幡同玉山倉吉 花城小学校長 花城小学校長湯本同押切恭次 三田憲上中同晴山吉郎 花巻同藤岡悦郎南城同照井真臣乳 大迫同菅原隆太郎宝閑同桜羽場秀三 内川目同藤原浜治大瀬川同佐藤小次郎 外川目同鎌田佐代治八日市同佐々木乙士 亀ケ森同岩舘正一和賀郡 川尻同及川幸吉 二子同阿部久蔵 更木同高橋栄治 中内同及川秀幸 谷内同多田倉次郎 田瀬同下坂耕平 小山田同及川善八 軽井沢同多田節郎 鬼柳同猫塚三左衛門 飯豊同伊藤良三郎 立花同大平恒郎 藤根同小原弥右衛門 岩崎同古川万次郎 猿橋同小川三郎 川舟同石川苞 滑田同菊池己代治 成田同小原澄羊 南成島同小原啓吾 倉沢同長谷川慧明 立石同佐々木清人 東晴山同伊藤静男 本社々員 金沢秀次 赤坂庄三郎 金沢庄一 菊池義三 週刋子供の力社 宮野目同遠藤禄郎黒沢尻小学校長 好地同金子昌一小笠原政一 湯口同谷藤源吉土沢同佐々木俊隋 矢沢同鬼柳茂太郎横川目同福地文教 八重畑同八重樫達郎江釣子同吉田豊 新堀同斎藤忠兵衛笹間同小田島忠太郎 太田同伊藤源吉新町同小川末治 花巻川口町 編輯室から △愈々創刋号を発行することが 出来ました。諸先生、父兄、生 徒方並に有志諸賢の深い〳〵御 同情と御援助のたまものと厚く 御礼を申上げて置きます。 △何せ始めての事業で、何かに 不行届なもんですから果して皆 様の御期待に添ふかどうか心配 であります。どうぞ皆さんの腹 「ぱいな御批評と御指導と御注 文を与へて下さい。 △今回の編輯で最も遺憾と思つ たことは次の事柄であります。 △体裁の方らか▽ △カツトの不足-注文品未着 △写真の不足-手の不足 △中みの方から△ △読物の不足 △先生方及保護者の記事の不足 本紙代表者の挨拶や有志諸賢 の祝詞が多かつたゝめ、紙幅 をせばめられたからでありま す。 △生徒の作品に就き、選評を行 はなかつたこと、 選者との交渉がおくれて間に 合はなかつたからです。 今後はこれが充実に努めま す。 □次号からの計劃 〓諸講座の開設 運動方面 衛生方面 作品方面(綴方、童謡、詩、 歌等) 弁論方面 △懸賞 児童作品は毎号 △考へ物 □寄稿は発行期日の十日前に本 社に到達する様に御発送を願 ひます0 〓最後に本号に掲載にならぬ寄 稿者諸氏に御詑申上げますが 今回の寄稿は案外多く集り本 号に載せかねたのでやむをえ ず、到着順に載せたのですか ら何分御諒察を願ひます。次 号にはきつと載せます。 (赤坂生) 〓不供の力社 社巻 ◆〓…本号に限り七銭…〓 本紙定価一部四銭 毎週土曜日発行 昭和三年十月三十日印刷納本 昭和三年十一月三日発行 花巻川日町四四三 金沢秀次 盛岡市紺屋町三九 印刷人石川安蔵 盛岡市紺屋町三九 印刷所杜陵印刷所 花巻川口町四四三 発行所子供の力社 児童作品懸賞募集 第二号の県賞募集を致しますから皆さん振つて寄稿して下さい 〓注意〓 △作品は綴方、童謡、短歌、俳句。 △入賞者には賞品を贈呈します。 △締切は十一月十四日。 △用紙はなんでもよろしいが字詰は十一字にして下さい。 △学校名、年級、氏名は是非記入して下さい。 △宛名は花巻川口町『子供の力社。」